兵庫教育大学附属図書館研究推進課図書館チームの永井一樹さん(主査)に、「BLUE CLASS」についてお話を伺いました。
兵庫教育大学附属図書館の永井一樹さん(下)・山下真人さん(左)・生西悦子さん(右)。
BLUE CLASS共催機関であるDIY・アウトドアショップWHATNOT HARDWEAR STOREの店長・湯村ケイさん(中)とブランド・マネージャーの山田陽介さん(上)と。
アカデミックなコンテンツを外に持っていく
BLUE CLASSという造語には「青空教室」という意味を持たせています。普段屋根と壁に囲まれてやっていること、授業だとかゼミだとかワークショップだとか、そういうアカデミックなことをただ外でやってみるという企画です。
終戦後の学校は、戦争による校舎の破壊や中学校の義務教育化によって圧倒的な教室不足に直面しました。青空教室とまでいかなくても、校舎の廊下や階段などで授業が当たり前のように行われていたようです。資料から当時の「階段授業」の写真を見ると、例えば千葉大学のアカデミック・リンク・センターのプレゼンテーションスペースとよく似ているんですよね。「教室環境」の欠如が、むしろ現代ではグッドデザインな教室になりうるという逆説的なところが面白いなと思っています。
図書館が屋外でイベントをすることをよく珍しがられますが、世はアウトドア・ブームです。多分に流行に乗っている面があります。神戸に東遊園地という公園があって、運営に民間事業者が入ってるんですよ。その運営をしている村上豪英さんという方が、URBAN PICNICという、公園活用の社会実験をされていたのを2017年にたまたま見て、ああすごいなと思いました。何がすごいかというとその無目的性です。確かに、そこにカフェや本棚、卓球台なんかを置いたりしているんですけど、それらはほんのきっかけというか呼び水的なものに過ぎなくて、公園利用者が何の目的もないままそこに佇むことを許容するゆるい空気感が見事に醸成されていました。しかも、鉄単管とかベニヤ板とか、ホームセンターで買えるものや、その辺の廃材を使って環境を作っているのが、すごくかっこよく見えた。それで、同じようなことを大学でもやってみたいと思ったのが、BLUE CLASSのきっかけです。
コロナ禍のBLUE CLASS
BLUE CLASSを始めたのは2018年で、コロナ禍前のことでした。数名の図書館スタッフと、余興感覚で始めた企画でしたが、ある意味でコロナ禍での三密回避が追い風になって、実際に授業で使ってくれる先生がいたり、音楽系の学生のために屋外コンサートの舞台を設定して、とても喜んでもらえたのは嬉しかったですね。
イベントのオンライン配信のためにBLUE CLASSのウェブサイトを作ったのも、コロナ禍が契機となりました。トップページにゲスト達の顔がバーンと動画で出てきます。デザイン担当の山下真人さんのアイデアですが、なぜそうしたかというと、もともとBLUE CLASSで撮った風景写真を置いてみたところ、ブラウザで見たってちっとも面白くなかったんです。マスクで顔の半分を隠してコミュニケーションしている状況のなかで、ノーマスクの顔面アップの動画に強いインパクトがありました。この時期、チーム内でリアルかオンラインかの論争を喧々囂々繰り返しましたが(私はリアル派)、結果的にはハイブリッドにしたことにより、遠隔の方からの反応もあってよかったなと思っています。
BLUE CLASSウェブサイト(https://www.blueclass.live/)
「デペイズマン」と「サイトスペシフィック」
「なぜ外でやっているのか」と時々訊かれるのですが、最近は二つのコンセプトを使って説明するようにしています。
ひとつは「デペイズマン」。美術用語で「異なった環境に置く」という意味があります。有名な例で言うと、マルセル・デュシャンという美術家がトイレの便器を『泉』というタイトルで美術館に展示したんですが、するとそれが作品になった。つまり物が同じでも、置く場所とか、コンテクスト(文脈)が違うと突然違った意味や価値が出てくる。おむすびってハイキングで食べると味わいが違いますよね。BLUE CLASSも、屋根の下でやっていることを外に置くだけで学びの味わいみたいなものが違ってくるんじゃないかということを検証してみたいというのが一つあります。あと、外に出したことによって、逆に今まで部屋の中でやってきたことの意味を問い直すということが起こるかなと思ったりしています。
もう一つは「サイトスペシフィック」。これも美術用語で、つい最近山下真人さんから教えてもらったのですが、先ほどのデュシャンの『泉』とは逆で、美術館というホワイトキューブの中にあるものだけが作品ではなくて、いろんな場所の文脈に合わせて、作品を作ったり展示したりすることだそうです。バンクシーがウクライナの破壊された壁に柔道の絵を描いていますが、あれはウクライナの壁に描かれたことにすごい意味があるわけで、美術館の中で展示されるのとは、インパクトが全然違うと思います。先日、先ほどお話しした東遊園地でイベントを行ったのですが、アカデミック・リソース・ガイド(arg)の岡本真さんをゲストに招待しました。テーマが「図書館と公園」だったのに、岡本さん、震災の話をすごくされたんですよ。東遊園地というのは阪神淡路大震災の復興と慰霊を象徴する場所で、やはりその場所の特性、サイトスペシフィックがすごく影響しているなと思いまして。我々がイベントをした会場の近くでモニュメントの火が灯っているわけです。教室の中で震災の話を聞くこととは全然違う場の強さを実感しました。
東遊園地のBLUE CLASSイベントで対談する岡本真氏(中央)と村上豪英氏(赤い椅子)
既視感のない場づくり
国立大学図書館協会のロゴは、図書館の「図」のくにがまえを外したデザインになっています。つまり、コミュニティを囲い込む壁がかなり低くなってきていると思うんです。図書館だけじゃなくて、どんな分野でも、デジタル化と通信技術の発展によって、デペイズマン(コミュニティ間の横断や転置)がすごくダイナミックに起こる時代なのではないかと思います。例えば、グリーン・オープンアクセスは、先生方が論文を作るということ自体は変わらないけど、流通の仕方を劇的に変えようとする運動ですよね。これはかなり大規模なデペイズマンの例だと思います。BLUE CLASSでは本当にささやかなデペイズマンしかできないですが、全然違う場所に置いてみて既視感のない場を作ってみるということに醍醐味を感じています。
課題解決のきっかけの場として
東遊園地のトークイベントで、ある登壇者が哲学者のハンナ・アレントを引用しながら、テーブルの機能について話されたのが印象に残っています。それは、対話する人同士を衝突させない「間」として存在していると。
argの岡本さんも、屋根と壁に囲まれた場所で会議をすると、どうしても意見の対立が起こりやすいけど、公園のようなオープンな場所で、関係者だけじゃなく市民が入ってくると、建設的で面白い対話が生まれやすいという趣旨のことを言われて、なるほどと思いました。壁に囲まれることで、人間は中心に向かっていき、でもそれでは衝突してしまうから、緩衝地帯としてテーブルを置いているという風に、環境を解釈することもできるわけです。
自分が思った以上に、屋根と壁のない環境が対話や議論に与える影響って大きいのではないかということに気づかされたのですが、BLUE CLASSも単に既視感のない場づくりということだけではなくて、何か課題解決のための対話や議論の場として機能していければと夢想したりしています。別に大それたことを考えているわけではなく、例えば図書館の前に緑地があるんですけど、講義棟と研究棟に挟まれた、すごくいい余白としてその空間があるので、そこを将来どのような場にしていきたいかを関係者みんなで考えるとか。小さなことですが、そういう小さなことをみんなで考えて楽しめるような場として、BLUE CLASSが展開していけばいいなと思っています。
BLUE CLASSに関する担当窓口および連絡先:
図書館チーム
office-tosyo-t@ml.hyogo-u.ac.jp
(@を半角にして送信してください)
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「ビジョン2025重点領域2企画」担当者チーム
九州大学附属図書館 星子 奈美(取材・文責)
取材日:2023年2月15日(水)